大阪城にて~


大阪城の観光  ラスト

大阪城のラストです。
城内には色んな貴重な展示が有るのに、見る時間か無く残念でした。

大阪城パークセンターさんのサイトより拝借の記述多々あります。

2階 パネル展示・レプリカ展示など常設展 
3階 豊臣時代の本丸復元模型・黄金の茶室原寸模型・歴史資料など展示 
4階 特別展など約2ヶ月毎に展示替え
5階 大阪夏の陣図屏風の世界
6階 ??
7階 豊臣秀吉の生涯
8階 展望台

集合時間が来たので天守閣を後に、公園を横切りバスに向います。



天守閣を見上げて~




菊紋と、桐紋が有ります。桐紋は、豊臣秀吉の家紋(太閤紋)です。





残念石とある。
このあたりの山々では大坂城を築城するために大量の石が採取されていたという。別名=「残念石」。残念石とは、大坂城の石垣に選ばれながら、石垣になれなかった石のこと。運搬の途中に落ちてしまったりとか、なんらかの理由で大坂城に運ばれなかった石を、研究者たちはそう呼んでいる。実はこの残念石、大阪のあちこちで見かけられるが、石に残る大名の家紋やくさびの跡で見分けるとか? ・・・・大阪城パークセンターさんより


天守台の前に置かれている 「残念石」 。
両横に鎮座しているこの石は元和6年(1620)から始まる大坂城修復の時天領小豆島(香川県)で割られたまま、用材石としての念願かなわず、いまなお数多く残されていることから「残念石」と呼ばれている。
この大きな石は、筑前黒田長政の石切丁場でみつかり、小さな石は豊前細川忠興の手になるものである。
これらの石を小豆島青年会議所が創立十周年記念事業として、「島は一つ」 の社会活動の実践に、大阪青年会議所は商都大阪の復権を願い 「なにわの知恵」 の再考にと、両会議所が共同事業として当時を再現し、小豆島よりこの地に運び据えたものである。 昭和56年7月19日 (社)大阪青年会議所・小豆島青年会議所・・・・ 大阪城パークセンターさんより 




蓮如上人・袈裟懸けの松
豊臣秀吉が大坂城を築城する前、上町台地最北端のこの地に本願寺八世蓮如上人によって創始された大阪本願寺があったことは周知の事実である。本願寺時代の末期には織田信長が十年の歳月をかけても攻めあぐねたというだけあってよほど巨大な要害となっていたらしく、秀吉時代の本丸は本願寺時代の石垣、堀の多くを転用したものとする説さえあるほどだ。その後の複雑な歴史も相まって当時の遺構は何一つ残ってはいないのが実情だが、(伝承上のこととは言え)今の大阪城内で唯一、蓮如上人にゆかりがあるとされるのが、この石碑裏に残る松の根なのである。


「蓮如上人袈がけの松」 説明パネル





「玉造口定番邸跡」の説明パネル





木々が茂る 「玉造口定番邸跡」
青屋口から極楽橋の前を通り内堀にそって西に進むと右側に樹木の茂る一角がある。このあたりには江戸期に京橋口定番屋敷があったが全て戊辰戦争時の火災で焼失し、明治期早々には大阪鎮台による士官学校校舎が設置されていた。



暑いのか木陰で過ごす人々





園内には 大阪市立博物館が目立ちます。    
1929年2月に昭和天皇即位の記念事業(昭和御大典記念事業)として、大阪城公園の整備および大阪城天守閣の復興とともに、城内の各所に分散していた陸軍第四師団の司令部機能を集約するために、大阪市が事業主体となって司令部庁舎を新築することとなった。
昭和35年(1960)に大阪市立博物館としてオープンした。しかしいまは大阪歴史博物館として馬場町移り、今はイベント時の開催本部などとして時折使用される。

中世ヨーロッパの城館をイメージネオルネッサンス調の外見は実に豪壮な印象。



濠の有る景色  ① 大阪城 南外濠





濠の有る景色  ②





濠の有る景色  ③   南外堀から見る六番櫓





濠の有る景色  ④  南外堀




濠の有る景色  ⑤  桜の葉の有る風景





濠の有る景色  ⑥  南外堀から見る六番櫓




御堂筋  ① 大阪の大きな通りに  「筋」 と 「通」 が有る、 南北方向に延びている通:大正通、海岸通
東西方向に延びている筋: 御堂筋 清水町筋、周防町筋、八幡筋、三津寺筋、宗右衛門町筋




御堂筋 ② 此処の近くでバスに乗り帰ります。

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