カリブ海(トゥルム)
トゥルム遺跡にて~ ②
トゥルムはもともとマヤ語で サマ(Zamá =夜明け)という名前だったそうです。
密林のマヤ都市は、廃墟になり密林に埋もれていたが、トゥルムは城塞として、スペインにも利用されていた。
マヤの遺跡は陸旅でウシュマル・チチェン・イッツァ・バレンケなど少しだけ行きました。
しかしトゥルム遺跡のカリブの海岸に立つ姿は素晴しいです。
今度は見れるので本当に楽しみでこの旅に参加です!!

マヤ・アーチです。美しい人が潜りぬけて居ますね~~

石積みの頑丈な作りでスゴイ

我々のツアー仲間です。

大人数でしたね~~

一眼レフを持ったカップルです。

我々の仲間は 奥に居ます。遅れないようにしませんと~

良い天気です。撮影しながら付いて行きます。

チュルトゥンの家

降臨する神の神殿

フレスコ画の神殿
フレスコ画の神殿の建築は三段階に分けられ、初めに一層の小さな神殿が築かれ、次に小神殿の回り三面(北東南)に回廊が設けられ、最後に二階部分の神殿が積み上げられました。・・・ 旅ナビより

フレスコ画の神殿 (Templo de los Frescos, lado frontal)

漆喰彫刻を大きく写しました。

降臨する神の神殿

入口を支える4本の柱の上に3つの窪みがあって漆喰彫刻が施され、左右は座った人物像、中央が写真の降臨する神です。 下になった頭の部分は崩れているものの、全体的に赤や青の彩色が残されます。

中央神殿付近に来ました。

中央神殿 エルカスティージョ

遺跡を掘って作業の人がいました。

海岸は近いですね~

オオッ 海が綺麗です。

ブーゲンビレアの大木です。

遺跡の図 ① pitura mural → pitura の壁画 mural painting → 壁画のペイント?

遺跡の図 ② El Castillo, The Castle の記述 ・・・ エル カスティーヨ、城 ?
マヤ遺跡のメモ
スペイン人の持ち込んだ天然痘の為、免疫力を持たないマヤ人の人口は急激に減少します。 そしてモンテゴ将軍によるユカタン制圧後、残ったマヤ人は荘園に囲い込まれて労働に従事させられる事となり、ここに長く続いたマヤの文化は崩壊に向かいます。
マヤの文化が失われていく中、一部は内陸に逃亡して細々とマヤ人としての生活を続けますが、19世紀になると逆境に置かれたマヤ人達が集まって反乱を起こします。 これはカスタ戦争(カースト戦争)と呼ばれ、トゥルムもその拠点になります。 英領ホンジュラス(現ベリーゼ)経由イギリスの武器援助もあったようで、一時はユカタン半島の大半をその勢力下に収めますが、農繁期になると軍隊が消えてしまう等、奇妙な戦争だったようです。
1847年に勃発したこのカスタ戦争も最後には鎮圧されてしまいます、20世紀に入り 1901年の事でした。 そして騒乱の中で手の付けられなかったトゥルム遺跡の本格的な調査、修復がようやく着手される事になります。
次回はカリブの海に面して立つ一番楽しみな、城壁からの景色です。
トゥルムはもともとマヤ語で サマ(Zamá =夜明け)という名前だったそうです。
密林のマヤ都市は、廃墟になり密林に埋もれていたが、トゥルムは城塞として、スペインにも利用されていた。
マヤの遺跡は陸旅でウシュマル・チチェン・イッツァ・バレンケなど少しだけ行きました。
しかしトゥルム遺跡のカリブの海岸に立つ姿は素晴しいです。
今度は見れるので本当に楽しみでこの旅に参加です!!

マヤ・アーチです。美しい人が潜りぬけて居ますね~~

石積みの頑丈な作りでスゴイ

我々のツアー仲間です。

大人数でしたね~~

一眼レフを持ったカップルです。

我々の仲間は 奥に居ます。遅れないようにしませんと~

良い天気です。撮影しながら付いて行きます。

チュルトゥンの家

降臨する神の神殿

フレスコ画の神殿
フレスコ画の神殿の建築は三段階に分けられ、初めに一層の小さな神殿が築かれ、次に小神殿の回り三面(北東南)に回廊が設けられ、最後に二階部分の神殿が積み上げられました。・・・ 旅ナビより

フレスコ画の神殿 (Templo de los Frescos, lado frontal)

漆喰彫刻を大きく写しました。

降臨する神の神殿

入口を支える4本の柱の上に3つの窪みがあって漆喰彫刻が施され、左右は座った人物像、中央が写真の降臨する神です。 下になった頭の部分は崩れているものの、全体的に赤や青の彩色が残されます。

中央神殿付近に来ました。

中央神殿 エルカスティージョ

遺跡を掘って作業の人がいました。

海岸は近いですね~

オオッ 海が綺麗です。

ブーゲンビレアの大木です。

遺跡の図 ① pitura mural → pitura の壁画 mural painting → 壁画のペイント?

遺跡の図 ② El Castillo, The Castle の記述 ・・・ エル カスティーヨ、城 ?
マヤ遺跡のメモ
スペイン人の持ち込んだ天然痘の為、免疫力を持たないマヤ人の人口は急激に減少します。 そしてモンテゴ将軍によるユカタン制圧後、残ったマヤ人は荘園に囲い込まれて労働に従事させられる事となり、ここに長く続いたマヤの文化は崩壊に向かいます。
マヤの文化が失われていく中、一部は内陸に逃亡して細々とマヤ人としての生活を続けますが、19世紀になると逆境に置かれたマヤ人達が集まって反乱を起こします。 これはカスタ戦争(カースト戦争)と呼ばれ、トゥルムもその拠点になります。 英領ホンジュラス(現ベリーゼ)経由イギリスの武器援助もあったようで、一時はユカタン半島の大半をその勢力下に収めますが、農繁期になると軍隊が消えてしまう等、奇妙な戦争だったようです。
1847年に勃発したこのカスタ戦争も最後には鎮圧されてしまいます、20世紀に入り 1901年の事でした。 そして騒乱の中で手の付けられなかったトゥルム遺跡の本格的な調査、修復がようやく着手される事になります。
次回はカリブの海に面して立つ一番楽しみな、城壁からの景色です。