旧市街から~  ①

ドブロブニク城壁内 ①

ドブロヴニク旧市街の城壁に到着です。 アドリア海の真珠と称されるドブロブニクです。
ドブロブニクの旧市街は立派な城壁にすっぽりと囲まれている。その長さは1940m。

そして城壁は歩いて一周できます。
入場料は90クーナ。およそ1440円。少々高いが、ドブロブニクの町が違った角度から見渡せるから安い? 
現地のお金が無い我々はクレジットカードでの支払いが出来大助かりでした。


バスから降りて直ぐの場所に美しい、ロピリィエナッツ砦が待ってます。





ポーカー砦とロピリィエナッツ砦です。 この景色を見ただけで期待が高まる!





ポーカー砦  堅牢な出来が敵の侵入を拒むでしょう~





ピレ門です。この橋を渡れば城壁に入れます。





「オノフリオの噴水」  ①
1438年につくられたこの噴水の水、街の裏のスルジ山の泉から水を引いていて、今でも飲むことが出来ます。
この噴水の側面には16のレリーフで飾られており、それぞれのレリーフの口から水が出ていました。



「オノフリオの噴水」  ② おいしい水です。





お土産屋さん近くで売ってる入場券はカードで済ませた。 クロアチアのお金は両替せずユーロだけで済ませた。





城壁の外が見れます。 観光バスも~





城壁の外の大きな森も見れます。





城壁の外の景色です。





何処までも観光客の姿があふれています。





この階段から城壁に登ります。 ココンさんとは出口で待つ時間を決めて解散





城壁は遊歩道に成っています。暑かったですが、頑張りました~~





プラツァ通を眺めて~





プラツァ通りの向こうに山の方が見える。





屋根の姿を写して~ ① プラツァ通り近く





屋根の姿を写して~  ②  逆光で屋根の赤さが少ないんですね~





屋根の姿を写して~  ③





屋根の姿を写して~  ④ 





遊歩道をゆく人の姿が見えます。






いろんな生活が営まれて居るのが判ります。





赤い屋根が続きます。





城壁の外の山のがけが見れますね~~





城壁の遊歩道はまだこれからです。





ロピリィエナッツ砦  遊歩道からの素晴らしい景色です。





ロピリィエナッツ砦を再び城壁遊歩道から写して~

旧市街地のメモ

ドブロブニク旧市街地は周囲約2km(正確には1925m)の城壁で囲われている。城壁は街区から4~5m離し街を全体を囲っている。その厚さは場所によって3mから最大6mメートルと厚い。また高さだが、高いところでは23~25mにも及んでいる。

この城壁の上は万里の長城同様、遊歩道になっている。約1時間でひとまわりできる。城壁には旧市街への入口となる門が4カ所ある。それぞれ名前が付けられている。ピレ、プロチェ、プジェ、ポンテの4つである

ドブロブニク旧市街は、14世紀中頃から4世紀半にわって「自由都市」として独立共和国を維持できたのは、おそらくシタデル(要塞)としての機能を併せもつ、城壁砦があったからであろう。まさに専守防衛の要がこの城壁であり、砦であったのだ。

そのドブロブニクだが、1991年、かのユーゴスラビア内戦によって危機に瀕する。激しい内戦によってエーゲ海の真珠はあちことが破壊された。


次回に続きます。まだまだ写してあります。

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ドブロブニクにて~

ドブロブニクの観光  ③

見事なスルジ山からの眺めと、海面がいろんな変化を見せて綺麗です。
その後訪れたツァヴタットの様子です。

ツァヴタットはアドリア海でもユニークな場所です。森林に覆われたラタ半島の丘にある古い町です。
新しい集落は海岸線沿いにあり、地中海の低木や常緑松、糸杉で覆われています。

七キロを超える浅瀬で砂浜や入り江のほか、高級ホテルがあり、ツァヴタットはドブロヴニク地域で最も人気のある観光地です。
歴史的にもドブロブニクよりも古く、クロアチアの中でも長い歴史のある場所である。


海面の芸術  ①  この景色は中々のものです。





海面の芸術  ② このような光の芸術は見たことがない。





海面の芸術  ③ オレンジ色に変化の海面はどうして出来たのかなあ~?





海面の芸術  ④ 太陽光線のなせる技?




海面の芸術  ⑤ 雲のなせる技?





海面の芸術  ⑥ 沢山写して~~~~





海面の芸術  ⑦ きれいですね~~ 感動の時間に感謝です。





糸杉の有る景色  ① 飛行機も見れて~





糸杉の有る景色  ②  何と平和な景色でしょう~





糸杉の有る景色  ③  ここに来る途中のホテルは紛争で焼かれて無残な姿を残して居ました。
写してなくて残念でした。





糸杉の有る景色  ④ こんなに平和な景色が見てれ~ しかし、悲惨な歴史の真実が有るわけです!





ツァヴタット街は穏やかな入江の奥にあるんです。





アーチをくぐればツァヴタットの街です。





ツァヴタットの中心でタクシーを降りて集合時間を決めて海岸に行ました。





ツァヴタットの海  ① 湾の海岸がプロムナードになって居ます。





ツァヴタットの海  ②  繋留されてる船





ツァヴタットの海  ③  ボート用の桟橋です。





ツァヴタットの海  ④ 赤いお屋根が美しい。





ツァヴタットの海  ⑤




ツァヴタット海  ⑥ 帆船でしょうか?





ツァヴタットの街  ① 





ツァヴタットの街  ② 赤いお屋根のホテル&別荘でしょうね~





ツァヴタットの街  ③  この辺りでココンさんとアイスを食べたんです(´・_・`)





聖ニコラ教会です。  





海辺のプロムナードで見たもの~





こんな魚が泳いでいました。





ツルバキアですね~





茎を折るとニラの様な匂いがします。





ローズマリーが咲いていました。


ツァヴタットの動画です。





次回は城壁内の様子になります。


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ドブロブニクにて~

ドブロブニクの観光  ②

ドブロブニクの新港に停泊中の客船がクリスタルセレニティ・コスタクラシカ?・ジャドロリニアです。
ココンさんご夫婦と我々は4人でタクシーでスルジ山に行ました。
ドライバーさんは慣れたもの、ビューポイントで止まって「カメラタイム」としてくれた!!
そのあとツァヴタットの観光も含まれて居ます。


ドライバーさんの勧めで最初に降ろしてくれて写した船です。





スルジ山に行く途中でもう一度下車





穏やかな紺碧海に停泊場所を写して~





見づらいですが、調べたら、ジャドロリニア(Jadrolinija)の船でした。ヤドロリニアと表記有り、カーフェリーです。アドリア海/クロアチア沿岸を航行です。





上から写したコスタです。





クリスタルセレニティと「QE」を叉写して~





湾のお船達が綺麗~~





穏やかです。





この紺碧の美しい海に乾杯です。





城壁の街が小さく見える~~





少しアップでも写します。





少し高い場所で下車して~ お薦めの場所は流石美しい眺め~~





綺麗ですね~~~





太陽の光線が作る美しい海面が綺麗~~





綺麗な景色を写せて大満足!!





城壁を真上から~ 何枚も写して~ どれも捨て難い!





スルジ山からです。 一段と高いところから城壁を写しました。





停泊中の船が綺麗に並んでいます。 出てゆく船もステキです。





スルジ山のロープウェイ乗り場です。





マウントSRD頂上戦争記念クロス。 街から山の頂上へ歩道は、その上に13の小さな十字架を持っています。 毎年戦争で息子を失った母親は途中でそれぞれのクロスで祈るように停止、裸足で小道を登る。・・・(直訳ですから不確かです。)




クロアチア内戦時代の情報統制部があったところです。[izlozba:dubrovniku domovinskom ratu,1991-1995]・・・ 内戦の時の写真パネルです。





大きな鉄塔が建ってます。テレビ塔のアンテナでしょうか?






「Robert Ivusic Memorial」 記念碑
Robert Ivusic(1973.5.3―1992 5.31)と石碑に刻まれています。クロアチア独立戦争で命を落とした方なのでしょうか? 

紛争のメモ

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦。

クロアチア紛争は、1991年から1995年にかけてクロアチアのユーゴスラビアからの分離独立およびクロアチア人とセルビア人の民族対立をめぐる紛争である。

クロアチアと同日に、独立を宣言したスロベニアでは十日間戦争となり、ユーゴスラビア連邦軍との武力衝突に発展したが、この名前が示す通り、戦闘は極めて短期間で終結した。一方でクロアチアでの戦闘は1995年までの長期間に渡って継続した。この差異が生じた要因は「クロアチアはセルビアと直接国境を接しており」なおかつ「クロアチア国内にはセルビアが無視できない程のセルビア人が居住していた」事による。また、1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争と次第にリンクし始め泥沼化し始めたことも一因である。

マウントSRDの上部に新しいケーブルカーの駅。 この建物は完全に1991年にセルビア砲によって破壊された1969年のケーブルカーの駅を取り替えた。

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ドブロブニクにて~

ドブロブニクの観光  ①

「アドリア海の真珠」ドブロブニクを再び訪れる事が出来ました。前回は初のクルーズで訪れた場所です。
又来られて本当に嬉しいです。

「アドリア海の真珠」と呼ばれるほど美しく、13世紀以降は地中海貿易の拠点として栄えた街です。
1667年の大地震で大きな被害を受け1991年のユーゴスラビア内戦でドブロブニクの町は破壊されてしまいました。
しかし、市民達は美しいドブロブニクを復活させようと、破壊された町の再建に奮い立ちます。
破壊されたゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式の教会や宮殿、噴水は、その様式を守り、材料となる石や瓦も昔使われていたものを集め、同じ色・形のもので復元しました。



日の出前、ドブロブニクに向けて静かなな海をゆっくり進みます。





まもなく日の出!





あかね色に染まり綺麗です。





島影をズームで撮影





船が進むので太陽の姿は段々見れなくなってしまった~~~





停泊地近しですね~





島の岩場に灯台が見れます。





大きい灯台と可愛い灯台の姿が魅力ですね~





段々賑やかになって停泊近しの美しい街の様子。





ドブロブニクの景色では、お馴染みのブリッジです。





まもなく停泊!





すでに三隻停泊中です。





クリスタルセレニティとコスタクラカ?です。





橋の橋脚と民家です。綺麗な花が咲いて居ます。船から眺めたので何の花か判らなかったんです。





山の方は太陽は昇りすっかり明るい景色です。





こちらの家々はひかげですね~





着岸です。ロープをかけてる皆さんご苦労様です。





クリスタルセレニティの隣に停泊でした。





対岸はお日様で明るくなっていますね~





船からの眺め~~





帆船も来ました。 この後下船でココンさんご夫妻とご一緒にスルジ山にタクシーで行ました。


ドブロブニク内戦などのメモ

クロアチアの最南端に位置するドブロブニクは、13世紀以降に地中海交易の拠点として栄え、「アドリア海の真珠」と呼ばれるほど美しい街に発展しました。1667年の大地震で大きな被害を受けますが、市民たちは美しいゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式の教会、僧院、宮殿、噴水などを、「自由と自治」の精神とともに大切に守ってきました。

1991年のユーゴスラビア内戦の中で破壊され、ユネスコの危機遺産リストに載せられたドブロブニクが、市民の手で再建された。平和がもどるとドブロブニクの市民は直ちに街の再建に取り組みます。古文書を調べ、破壊された様式を守り、同じ石材を集め、すべてを元通りに修復・復元しようとしたのです。材料を加工する道具は、昔と同じものを作って使用しました。瓦も昔と同じ色・形のものを造りました。街の再建には多くの専門家や、外国からのボランティアが参加して進められました。そうした努力が実を結び、内戦終結から3年後の1998年、ドブロブニクの街はその美しさを取り戻し、危機遺産から脱したのでした。

この復興には、様々な海外からのボランティアが参加し、1998年、内戦の終結から三年経って「アドリア海の真珠」はその美しさを取り戻したのです。

オレンジの屋根が並んだ町並みの美しさと、どこまでも深く碧い海。
この景色に圧倒されました。そして、もう二度と悲しい歴史は繰り返され無い様にと祈ります。

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コルフ島にて~

コルフ島の観光   ④

宮殿の美しい庭園を散策、美しいエリザベートが過ごすに相応しく見晴らしも良いお庭を沢山撮影した。
その後、港に戻る。港の船を写したいので途中でバスから降ろしていただきました。
ガイドさんは快く降ろしてくれたんです。これは珍しい事だと思います。


大きな木がそびえるお庭に来ました。





アキレウスの像が建てられてます。エリザベートはギリシャ神話の中で最も好きだったのが英雄「アキレウス」だそうです。その名前をとって「アヒリオン宮殿」と名付けられたそうです。アキレス腱はアキレウスの挿話から来た言葉なんですね~




アポロンが放った矢に倒れるアキレウスの像が有ります。エリザベートはアキレウスの傍らに腰をかけてホメロスの『イリアス』を読んでいたそうです。




アポロンが放った矢に倒れるアキレウスの像を角度を変えて写した。矢が刺さってるのがわかります。エリザベートはギリシャ神話の中でもアキレウスの生きざまに惹かれていました。大好きなギリシャの離宮にアキレウスを感じる彫像を置きたい・・・。ベルリンの彫刻家エルンスト・ヘルターに依頼したのが写真の作品。
不死身の体のたった一つの弱点を矢で射抜かれた瞬間を劇的に表現しています。


美しい庭園内  ①  ピンクのブーゲンビレアは珍しい!!





美しい庭園内  ② アチコチ写して~





美しい庭園内  ③ 生い茂った木々の間に有る、いろんな像に会えます。





美しい庭園内  ④  アーチの有る庭です。





美しい庭園内  ⑤ ここを散策するエリザベートの美しい姿が見える様な場所!!





美しい庭園内  ⑥ 何気なく建つ美しい肢体です。





美しい庭園内  ⑦ 明るい光のあふれる芝生です。彼女は何を思い乍ら過ごしたのでしょう~





なんの競技?若々しい肢体!円盤投げ?徒競走?





肩車をした親子の像です。





「ミューズたちの庭」と呼ばれる中庭部分。並んでいる彫像は、竪琴を持った美神アポロンと9人のミューズです。





「ミューズたちの庭」は南国の光に満ちて~





美神の像は美しい肢体です。





見晴らしの良い庭からの眺め、はるかに海が見える。このあとツアーバスにて船に戻ります。





パレオ・フルリオ(8世紀ヴィザンチン時代の旧要塞)とネオ・フルリオ(16世紀の新要塞)?





まだ太陽が真上です。





坂の道です。





これもユーカリの樹々でしょうか? バスから降ろして頂いたのはこの辺だった?





港の景色  ① 船まで意外と遠かったので疲れても写す根性が有るんです。 テヘヘ~~~





港の景色  ② 海辺を撮影しながら「QE」に戻ります。





港の景色  ③ いろんな小船が居ます





港の景色  ④  海運のギリシャ、流石のクルーザー





港の景色  ⑤





港の景色  ⑥ 漁船?楽しむためのお船~?多いです。





港の景色  ⑦  観光船なのかなあ~?





港の景色  ⑧  クリスタルセレニテイ&「QE」です。





港の景色  ⑨  MSCアルモニアです。58,625トン





港の景色  ⑩ MSCアルモニアの船尾





港の景色  ⑪ ケルキラ・ライン(Kerkyra Lines ) カーフェリーですね~





港の景色  ⑫ 港の建物





港の景色   ⑬   これもカーフェリーですね~ トラックが乗りこむ所でした。





港の景色  ⑭ 「Sarris Cruises」?





港の景色  ⑮ これを撮す為に下車~~ なのに「QE」は手前のクリスタルセレニテイで隠れてる。 残念!!

カタコロンの港は、イタリアのブリンディシとギリシヤャのバトラを結ぶフェリーの中継点としても有名です。
港の賑わいは成る程でした。

メモ

① アキレスのメモ
アキレウスが生まれると母テティスは、息子を不死の体にするために冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸した。そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとのみは不死とならなかった。その後、トロイア戦争ではここをパリス(一説にはアポローン)に射られてアキレウスは死に到ることになる。


② 要塞のメモ
シタデル(ベネチア要塞)
コルフ島はアドリア海を出て直ぐのところ、即ち海上交通の要衝にある。そこに、ベネチアは現在ベネチア要塞と呼ばれる城塞を築いていた。
1716年、トルコ軍の襲撃を受けたが防衛に成功。指揮官の重要性を知るベネチアはJohann Mathias von der Schulenburgという武人を招聘し、指揮を任せた。彼は負ければ死を免れない指揮官の任につき、責務を果たして名を残した。ベネチア海軍も総力を挙げて戦ったであろうことは、想像に難くない。
彼女はギリシャ語を学び原語でギリシャ神話を読んだと伝えられるほど神話好きであった。


次回は、ドブロブニクに成ります。

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コルフ島にて~

コルフ島の観光  ③

愈々アヒリオン(Achilleion)宮殿内部の様子です。

オーストリア皇后エリザベートが1891年に建てた離宮である。アヒリオン宮殿の名はエリザベートが愛したギリシャの英雄アキレウス(Achilleus)に因んで名付けられた。
エリザベート(愛称シシー)については、「プリンセス・シシー」(原題Sissi)という映画が1955年に公開されているほか、映画や演劇で上映・上演されているので、かなり知られている。


左右対称の瀟洒で豪華な宮殿内です。





階段の上は見事な白を基調の装飾で美しい。





宮殿正面の階段です。細やかで美しい細工の階段です。





階段のしたには、ギリシア神話のゼウスの像です。





ヘラの像です。ゼウスの正妻となるヘラです。





贅を凝らした宮殿二階です。





宮殿の天井画  ① 素晴らしい天井画に感動!!





宮殿の天井画  ②




宮殿の天井画  ③





宮殿の内部  ① マリア像




宮殿の内部  ②  マリア像の上の絵です。 





宮殿の内部  ③ マリアの像と素晴らしい宗教絵です!! 少し濃くしたものです。





宮殿の内部  ④ この絵はエリザベートの気に入りのギリシャ神話でしょうか?






シシーのお部屋  ①  マリア像は素焼きに釉薬を施した?それとも何らかの着色でしょうか? ひび割れて居ます。





シシーのお部屋  ②

 



シシーのお部屋  ③





シシーのお部屋  ④ 瀟洒な室内を~





シシーのお部屋  ② シシーのベット?





シシーのお部屋  ③





シシーのお部屋  ④  ランプシェードはオーストリアで見た様なデザインです。?





エリザベートの美しさの際立つ肖像画です。反射光が多くて上手く写せなかったです。





若い頃の肖像画でしょうか?





皇帝フランツ・ヨーゼフ1世像





こんな衣装が飾られていました。


メモ  「エリザベートの生涯の概略」

エリザベートはバイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マクシミリアンとバイエルン王女ルドヴィカの次女として生まれた。幼少の頃は王位継承権からは遠く公務とは無縁で、自由を満喫していた。

そんな生活が終わるのは、1853年8月、エリザベートの姉ヘレーネの見合いの席に付き添いで同席した野育ちの彼女が、相手だった母方の従兄でにあたる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、求婚されたからである。

エリザベートは婚約が決まった翌日からお妃教育を受けさせられたが、怠惰で不真面目で勉強嫌いの彼女は、その時から既に何度もヒステリーを起こしていたという。しかし、1854年4月、エリザベートは16歳で結婚、オーストリア皇后となった。

自由人だった父の気質を多く受け継いだ皇后は、母方の伯母で姑であるゾフィー大公妃がとりしきる宮廷の厳格さが耐えられなかった。人前に出る事を極度に嫌がる彼女は宮廷生活や皇后としての義務や職務を嫌い、大西洋に浮かぶマデイラ諸島などに療養に行ったり、夫の同行でイタリアを訪問したり、個人的に旅行に出かけたり病院を慰問したりと、生涯にわたり理由と口実を見つけてはウィーンから逃避し続けた。

エリザベートの晩年最大の悲劇は、息子ルドルフ皇太子の自殺であった(1889年、暗殺説もある)。夫の死後喪服を着続けた女帝マリア・テレジアに倣い、その後彼女は死ぬまで喪服を脱ぐ事はなかった。1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、生涯を終えた。


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