韓国の旅二日目

百済の都・扶余にて  ⑦  (2011・6・)

高敞の支石墓群(ゴインドル)と部落を再現の観光です。

全羅北道高敞郡にある支石墓群。約1,764メートルの範囲に442基の支石墓が群集する。韓国最大の支石墓密集地域である。北方式と南方式が混在する。青銅器時代の農業を中心とした部落を再現したものも有ります。

支石墓群は、主に東北アジアに多く見られる青銅器時代の代表的な埋葬遺跡です。
特に韓国には、東北アジアに残る全支石墓群の約75%にあたる3万基が密集していて、高敞、和順、江華の支石墓群が2000年に世界遺産に登録されています。


博物館ですが、此処には入らなかった。




青銅器時代農業を中心とした部落を再現したもののようです




高床式住居  ①  見張り塔の役目?




高床式住居  ② 住居なんでしょうか? 穀物倉庫?そんな説が日本にあります。しかし??




高床式住居  ③  この時代にもう~家畜としての豚が居たんですね~~~




竪穴式住居  ① 日本の登呂遺跡と同じようです。日本でも、弥生の遺跡から竪穴住居が見つかってるそうです。 




竪穴式住居  ② 中に入ってみました。 地面より低いと暑さ寒さにに対応出来るようです。




竪穴式住居  ③ 狩での収穫を解体の再現の像ですね~




広いのでこの車両に乗って観光です。




支石墓(ゴインドル)は、紀元前1000年から紀元前100年にかけて、大きな石で造られた墓のことである。支石墓には、足の長い石柱に石を載せテーブル状に石を組んだ「北方式」と短い石柱に石を載せた碁盤状に石を組んだ「南方式」の2種類がある。
世界的に見て、支石墓は欧州のイギリスやフランスがひとつの中心で、南インド、東南アジア、中国沿海部にも存在するが、朝鮮半島が世界で最も支石墓の数が多い。韓国語ではコインドルと呼ばれる。  ・・・「Wikipedia」より


走る観光車両の中からの撮影はブレブレで使えるのが少ないのです。




規則性が無い様な気がします。自然に成り立つ様でも無いし、私には不思議な事に思いました。




詳しい事は勉強不足です。破壊されたコインドルも沢山あるそうです。 




墓石だそうです。この石の下にも埋葬されてると聞きました。新石器時代から、青銅器時代に広く分布したコインドルも段々衰退し木版の土墓と至ってるそうです。




支石墓は色んな観点から、貴族階級や族長以上の階級により作られたと思われる。 こんな巨大な石を運ぶのに如何したんでしょうか?




古代人はどのようにしてコインドルを作ったのかを示す想像図です。 (高敞郡世界文化遺産案内資料より)




支石墓群の近くの民家です。




平屋の新しいお家です。高層住宅が多い韓国でこの様なお家は余り見なかった様な?


支石墓は、巨大な覆い石を支石で支える形の墓で、国際語であるドルメン(dolmen)はフランス・ブルターニュ地方の方言(ブルトン語)で、ハングルではコインドルと呼ばれる。日本語はいずれも支石墓(しせきぼ)と言う。日本の支石墓は、韓国の青銅器時代。日本では縄文時代から弥生時代にかけて朝鮮半島から日本にもたらされ、今でも福岡県西端の前原市・志登支石墓群や佐賀県北部などで見ることができる。・・・「Wikipedia」より

百済の都・扶余の様子は終わります。この後、光州に行きます。

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韓国の旅二日目

百済の都・扶余にて ⑥   (2011・6・5)


1993年8月に新築された国立扶余博物館は、11,000点以上の貴重な遺物が先史室、歴史室、仏教美術室、企画展示室など4つの展示室に分けられ展示されている。

これらの遺物は、輝かしい百済文化の粋を物語っているが、特に1994年に陵山里古墳群近くの建物の跡地で発掘された「百済金銅大香り炉」が永久保存処理過程を経て展示され、国立扶余博物館を一層価値のある場所にしている。また、神仙境や桃園を理想とした百済の人々の心が表された山景紋摶などが展示されている。

百済の遺物は少なく、新羅より技術は劣っていたのではないかという説もありました。しかし、扶余の陵山里遺跡からこの大香炉が発掘されたことによって、百済の技術力の高さが証明されることになったのです。龍の台座に、満開の蓮の花、蓋の部分は山並みに釣人、象に乗る人、最上部は躍動的な鳳凰が象られ、当時の東アジア最大の傑作のひとつとも言われています。


国立扶余博物館正面です。


 

中庭の石槽です。7世紀ノ石槽です。 高さ:146.5cm。




博物館のメインホール、此処から展示室に入室しました。




レンガ?瓦?年表でしょう~




メイン場所に展示されていました。貴重な壁画と思います。お判りの方に教えて頂けたら嬉しいです。




百済金銅大香爐   ① 1993年12月に市内から出土
国立博物館により百済羅城と陵山里古墳群の間、第3建物址から出土されたこの香爐は金銅光背の欠片など450余点の遺物と一緒に発見された。


百済金銅大香爐   ② 角度を変えて写した。 
百済の文明技術を物語る金剛大香炉です。
高さ62cm、重さ11.8kgにもなるこの大香炉は、井戸の中から発見されました。百済滅亡の折、他に隠す場もなく、とっさに井戸の中に投げ込まれたものと見られています。以後、660年から、発掘される1993年まで、百済とともに、井戸の中に眠っていたのです。


百済昌王銘石造舎利龕 567年 花崗岩で作られた舎利龕(遺骨を安置する所)は、百済の昌王13年(567年)に公主(王女)が舎利を供養した、と言う内容の銘文が刻まれている。



展示品  ①  石棺墓副葬品の装飾品でしょうか?詳しい資料が無いのです。歴史に詳しくないので、判らない物でした。 日本に伝わる以前の大切な品々と思います。



展示品  ② 青銅器時代の土器




展示品  ③ 精しいことが判らないのです。画像だけ載せてみます。




展示品  ④




展示品  ⑤




展示品  ⑥




展示品  ⑦




展示品  ⑧




展示品  ⑨




展示品  ⑩  土器などのかけら?




展示品  ⑪




展示品  ⑫




展示品  ⑬




展示品  ⑭




展示品  ⑮  右のは、「百済木簡」 長さ44㎝?




展示品  ⑯




展示品  ⑰  青銅器?




展示品  ⑱ 石器の石鏃(矢尻)ですかね~




展示品  ⑲




暗い照明の中に百済の微笑みが浮かびます。瑞山の磨崖三尊仏は、真中の仏を中心に右側に菩薩立像、左側には半跏思惟像が配置され、その温和な微笑は百済時代の美術文化の特徴を遺憾なくあらわしています。



角度と光線で違いが出るのです。 少しづつ照明を変えている。




同じ仏像ですが光線と角度の具合で表情に違いが有って有名だそうです。上と同じとは思えない美男?の表情です。

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韓国の旅二日目

百済の都・扶余にて  ⑤   (2011・6・5)

白馬江を遊覧船で川下り、クドレの船着場から国立扶余博物館に行きました。

扶余博物館は、扶蘇山城の南側山麓、百済王朝の宮廷跡に建っています。
広い館内を歩いて行きます。アチコチに無造作に置かれてる、統一新羅時代の亀趺や、高麗のころの石仏・石塔などが並んでいます。さっさと行くのは勿体ない物が一杯有りました。 



扶余博物館に向かって歩きます。 綺麗なお屋根の建築を見ながら~




現地の観光客は子供が賑やかです。 そのあとに続きます。




大きな石の構造物です。華やかな建物の中です。 貴重な物と思われます。




文字が彫られて、上の方には何かの像も有ります。 写しただけで残念です。




広大な庭園の奥に扶余博物館が有ります。




扶余博物館が見えてきました。




行燈の様な新しい案内板です。




古代建築様式に模した建物の「国立扶余博物館」には、1万3000点余りの、先史時代以降の遺物、特に百済時代を中心とした遺物が展示され、仏教文化の花咲いた百済に触れることができます。



屋外展示品  ① 「石亀の像」です。




屋外展示品   ②  表情がとっても良い石像ですね!!!




屋外展示品  ③  灯篭では無いし?


次回は扶余博物館内の展示品に成ります。
コメント欄閉めています。次回によろしくお願いいたします。

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韓国の旅二日目

百済の都・扶余にて  ④  (2011・6・5)

扶余のまちを流れる錦江。扶余周辺では白馬江という名前で呼ばれています。日本史に登場する白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)の舞台です。当時百済と深い交流があった日本が、ここで唐と新羅の連合軍と戦ったのです。この白馬江を船で観光することができます。
扶余山城の白馬江べりにある船着場からこのクドレ船着場まで乗りました。

白馬江(ペンマガン)一帯は、538年(聖王16年)に百済の首都を熊津(現在の公州)からサビ城である扶余に移してから660年(義慈王20年)に百済が滅びるまで百済の中心部であった。白馬江は錦江の下流に当たり、川幅が広く、扶蘇山や水北亭と調和しつつ悠々と流れる百済の興亡盛衰を見守った、まさに歴史の川である。



帆船ですが、モーターで動く。




天気も良く綺麗な帆ですね~~




皐蘭寺の下の船着場から、遊覧船に乗りました。皆さんちゃんと並んで乗船します。




運転席も写さないと~~




下流の景色もキレイです。歴史を見つめた木々の姿は今は穏やかです。




落花岩の上に建つ百花亭は木々の中ですね~




皐蘭寺が見えています。




乗船済んで桟橋は次の乗船を待つ人が居ります。




橋の手前に小さく見えるのが、下船の船着場です。 ピストン輸送なんです。




船はぐるっと回り方向を変えました。




ゆっくり進みます。




船の上は暑かったです。




見上げると、落花岩です。




あっという間の船着き場!




船着き場です。 はや~い




もう~下船です。

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韓国の旅二日目

百済の都 扶余にて   (2011・6・5)


百済は、660年に、唐軍13万人と新羅軍5万人の連合軍に攻められ、百済王はいったん王都の泗沘城(しひじょう・錦江下流域)を捨てて旧都の熊津城(錦江中流域)にのがれたが、降伏して百済は滅亡した。

百済の滅亡後、664年まで、王族の福信・僧道琛(どうちん)・日本へおくられていた王子豊璋などが、高句麗や日本の大和朝廷の支援を受けて執拗に唐・新羅連合軍と戦っている。日本からは3万7千人余りの軍を送り、663年に、錦江河口で2日間にわたって唐・新羅の連合軍と戦ったが大敗した。古名をとって、「白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦い」と呼ばれる。 なお、多くの百済人が日本へ亡命した。・・・・「 Wikipedia」にて検索資料より

白馬江に面した絶壁の上に六画形の亭が美しく建っています。亭の名前は「百花亭」。
そこからの眺めは素晴らしい。何点も写しています。


「百花亭」から眺める人々




百花亭より穏やかな流れの白馬江を望む。




白馬江の様子がよく見えます。




よく晴れて~遠くまで見えてます。




この川に身を投げた時は、こんなに良いお天気では無かったんでしょう~かね~?




後でこの船に乗るんです。




皐蘭寺の様子  ① 落花岩の百花亭を降り、岩に気をつけながら皐蘭寺まで下りました。




皐蘭寺の様子  ②




皐蘭寺の様子  ③




皐蘭寺の様子  ④




皐蘭寺の様子  ⑤ 願い事を書いた提灯が美しく並ぶ堂内




皐蘭寺の様子  ⑥




皐蘭寺の様子  ⑦




皐蘭寺の様子  ⑧




皐蘭寺の壁画  ①  小舟に乗ってるのは日本からの使者と聞いたような~?




皐蘭寺の壁画  ②  小舟をアップに写しました。




皐蘭寺の壁画  ③




皐蘭寺の壁画  ④  お堂の裏には落花岩より身を投げる宮女の絵が沢山あります。

サビ城落城に際して、新羅・唐連合軍の攻撃に、百済の宮女たちは、敵に辱めを受けるよりはと白馬江に身を投げ、そのチョゴリの舞う姿は花が散るようであったと言う伝説が残りました。


皐蘭寺の壁画  ⑤




皐蘭寺の説明パネルです。




日本語の部分を拡大してみました。

皐蘭寺についてのはっきりした記録は残されていません。寺の後方にある岩の間には皐蘭井という井戸があり、また井戸の上にある岩の間には皐蘭草が生えています。百済の王たちは1日に1回ずつ皐蘭井から湧き出る水を飲んでいましたが、水を汲みに行く家来たちは、皐蘭草の葉を水に浮かべることで皐蘭井からもってきた水だということを証明してました。


皐蘭寺の裏には薬水が沸いており、そしてその近くに自生する皐蘭草という珍しい草が自生していて、その名にちなんで皐蘭寺とつけられたそうです。



「皐蘭の湧水と赤ん坊になったお爺さん」・・・ 説明パネル




皐蘭草  ①




皐蘭草  ②

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韓国の旅二日目

百済の都 ・ 扶余にて  ②  (2011・6・5)

百済最後の都 扶蘇山城と百花亭・落花岩の観光です。
扶蘇山城の見所の一つが、「落花岩」。
下には白馬江が流れ、絶壁の上からの眺めは、かつての百済、韓国の原風景です。その岩の頂に建てられているのが百花亭です。
百済滅亡の際、この岩から官女たちが身を投げたと言われ、その姿が悲しくも、美しかったことから、落花
(落下)岩と名づけられたそうです。 


まず、大きな木製の看板を写して~




百済最後の都 扶蘇山城図の前でガイドさんから、女官の最後の悲しいお話を聞きました。




扶蘇山城の地図です。




聖王(聖明王)は、538年に当時のサピ、今の扶余に遷都。このとき、国号も「南扶余」にしますが定着はしなかったようです。公州の公山城と同様に、白馬江(錦江の別名)を見下ろす扶蘇山城は、サビ城下の防衛の中核と見られています。
 しかし、唐と新羅の連合軍によって、660年、百済は滅ぼされてしまいます。 百済の遺臣は、日本に援軍を要請。それが古代日本史に登場する「白村江(はくすきのえ)の戦い」です。


華やかな屋根(軒下)です。




落花岩に行くのには林を抜けて行きます。




日差しが強いから、林の道が嬉しい。




目に優しい木々です。




白馬江が少し見えてきました。




ゆったり流れる、白馬江が眼下に見れます。




赤い実が生って居ます。何の実かな~ 




「落花岩」  ① きつい坂を祠に上ります。 扶蘇山城の見所なんですね~




「落花岩」  ②  下から見える綺麗な祠です。




「落花岩」  ③  落石注意?




「落花岩」  ④ 国内外から沢山の人々が訪れる観光名所なのが判ります。
  



落花岩の日本語などの説明文です。

 

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