コルフ島にて~

コルフ島の観光   ④

宮殿の美しい庭園を散策、美しいエリザベートが過ごすに相応しく見晴らしも良いお庭を沢山撮影した。
その後、港に戻る。港の船を写したいので途中でバスから降ろしていただきました。
ガイドさんは快く降ろしてくれたんです。これは珍しい事だと思います。


大きな木がそびえるお庭に来ました。





アキレウスの像が建てられてます。エリザベートはギリシャ神話の中で最も好きだったのが英雄「アキレウス」だそうです。その名前をとって「アヒリオン宮殿」と名付けられたそうです。アキレス腱はアキレウスの挿話から来た言葉なんですね~




アポロンが放った矢に倒れるアキレウスの像が有ります。エリザベートはアキレウスの傍らに腰をかけてホメロスの『イリアス』を読んでいたそうです。




アポロンが放った矢に倒れるアキレウスの像を角度を変えて写した。矢が刺さってるのがわかります。エリザベートはギリシャ神話の中でもアキレウスの生きざまに惹かれていました。大好きなギリシャの離宮にアキレウスを感じる彫像を置きたい・・・。ベルリンの彫刻家エルンスト・ヘルターに依頼したのが写真の作品。
不死身の体のたった一つの弱点を矢で射抜かれた瞬間を劇的に表現しています。


美しい庭園内  ①  ピンクのブーゲンビレアは珍しい!!





美しい庭園内  ② アチコチ写して~





美しい庭園内  ③ 生い茂った木々の間に有る、いろんな像に会えます。





美しい庭園内  ④  アーチの有る庭です。





美しい庭園内  ⑤ ここを散策するエリザベートの美しい姿が見える様な場所!!





美しい庭園内  ⑥ 何気なく建つ美しい肢体です。





美しい庭園内  ⑦ 明るい光のあふれる芝生です。彼女は何を思い乍ら過ごしたのでしょう~





なんの競技?若々しい肢体!円盤投げ?徒競走?





肩車をした親子の像です。





「ミューズたちの庭」と呼ばれる中庭部分。並んでいる彫像は、竪琴を持った美神アポロンと9人のミューズです。





「ミューズたちの庭」は南国の光に満ちて~





美神の像は美しい肢体です。





見晴らしの良い庭からの眺め、はるかに海が見える。このあとツアーバスにて船に戻ります。





パレオ・フルリオ(8世紀ヴィザンチン時代の旧要塞)とネオ・フルリオ(16世紀の新要塞)?





まだ太陽が真上です。





坂の道です。





これもユーカリの樹々でしょうか? バスから降ろして頂いたのはこの辺だった?





港の景色  ① 船まで意外と遠かったので疲れても写す根性が有るんです。 テヘヘ~~~





港の景色  ② 海辺を撮影しながら「QE」に戻ります。





港の景色  ③ いろんな小船が居ます





港の景色  ④  海運のギリシャ、流石のクルーザー





港の景色  ⑤





港の景色  ⑥ 漁船?楽しむためのお船~?多いです。





港の景色  ⑦  観光船なのかなあ~?





港の景色  ⑧  クリスタルセレニテイ&「QE」です。





港の景色  ⑨  MSCアルモニアです。58,625トン





港の景色  ⑩ MSCアルモニアの船尾





港の景色  ⑪ ケルキラ・ライン(Kerkyra Lines ) カーフェリーですね~





港の景色  ⑫ 港の建物





港の景色   ⑬   これもカーフェリーですね~ トラックが乗りこむ所でした。





港の景色  ⑭ 「Sarris Cruises」?





港の景色  ⑮ これを撮す為に下車~~ なのに「QE」は手前のクリスタルセレニテイで隠れてる。 残念!!

カタコロンの港は、イタリアのブリンディシとギリシヤャのバトラを結ぶフェリーの中継点としても有名です。
港の賑わいは成る程でした。

メモ

① アキレスのメモ
アキレウスが生まれると母テティスは、息子を不死の体にするために冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸した。そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとのみは不死とならなかった。その後、トロイア戦争ではここをパリス(一説にはアポローン)に射られてアキレウスは死に到ることになる。


② 要塞のメモ
シタデル(ベネチア要塞)
コルフ島はアドリア海を出て直ぐのところ、即ち海上交通の要衝にある。そこに、ベネチアは現在ベネチア要塞と呼ばれる城塞を築いていた。
1716年、トルコ軍の襲撃を受けたが防衛に成功。指揮官の重要性を知るベネチアはJohann Mathias von der Schulenburgという武人を招聘し、指揮を任せた。彼は負ければ死を免れない指揮官の任につき、責務を果たして名を残した。ベネチア海軍も総力を挙げて戦ったであろうことは、想像に難くない。
彼女はギリシャ語を学び原語でギリシャ神話を読んだと伝えられるほど神話好きであった。


次回は、ドブロブニクに成ります。

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コルフ島にて~

コルフ島の観光  ③

愈々アヒリオン(Achilleion)宮殿内部の様子です。

オーストリア皇后エリザベートが1891年に建てた離宮である。アヒリオン宮殿の名はエリザベートが愛したギリシャの英雄アキレウス(Achilleus)に因んで名付けられた。
エリザベート(愛称シシー)については、「プリンセス・シシー」(原題Sissi)という映画が1955年に公開されているほか、映画や演劇で上映・上演されているので、かなり知られている。


左右対称の瀟洒で豪華な宮殿内です。





階段の上は見事な白を基調の装飾で美しい。





宮殿正面の階段です。細やかで美しい細工の階段です。





階段のしたには、ギリシア神話のゼウスの像です。





ヘラの像です。ゼウスの正妻となるヘラです。





贅を凝らした宮殿二階です。





宮殿の天井画  ① 素晴らしい天井画に感動!!





宮殿の天井画  ②




宮殿の天井画  ③





宮殿の内部  ① マリア像




宮殿の内部  ②  マリア像の上の絵です。 





宮殿の内部  ③ マリアの像と素晴らしい宗教絵です!! 少し濃くしたものです。





宮殿の内部  ④ この絵はエリザベートの気に入りのギリシャ神話でしょうか?






シシーのお部屋  ①  マリア像は素焼きに釉薬を施した?それとも何らかの着色でしょうか? ひび割れて居ます。





シシーのお部屋  ②

 



シシーのお部屋  ③





シシーのお部屋  ④ 瀟洒な室内を~





シシーのお部屋  ② シシーのベット?





シシーのお部屋  ③





シシーのお部屋  ④  ランプシェードはオーストリアで見た様なデザインです。?





エリザベートの美しさの際立つ肖像画です。反射光が多くて上手く写せなかったです。





若い頃の肖像画でしょうか?





皇帝フランツ・ヨーゼフ1世像





こんな衣装が飾られていました。


メモ  「エリザベートの生涯の概略」

エリザベートはバイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マクシミリアンとバイエルン王女ルドヴィカの次女として生まれた。幼少の頃は王位継承権からは遠く公務とは無縁で、自由を満喫していた。

そんな生活が終わるのは、1853年8月、エリザベートの姉ヘレーネの見合いの席に付き添いで同席した野育ちの彼女が、相手だった母方の従兄でにあたる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、求婚されたからである。

エリザベートは婚約が決まった翌日からお妃教育を受けさせられたが、怠惰で不真面目で勉強嫌いの彼女は、その時から既に何度もヒステリーを起こしていたという。しかし、1854年4月、エリザベートは16歳で結婚、オーストリア皇后となった。

自由人だった父の気質を多く受け継いだ皇后は、母方の伯母で姑であるゾフィー大公妃がとりしきる宮廷の厳格さが耐えられなかった。人前に出る事を極度に嫌がる彼女は宮廷生活や皇后としての義務や職務を嫌い、大西洋に浮かぶマデイラ諸島などに療養に行ったり、夫の同行でイタリアを訪問したり、個人的に旅行に出かけたり病院を慰問したりと、生涯にわたり理由と口実を見つけてはウィーンから逃避し続けた。

エリザベートの晩年最大の悲劇は、息子ルドルフ皇太子の自殺であった(1889年、暗殺説もある)。夫の死後喪服を着続けた女帝マリア・テレジアに倣い、その後彼女は死ぬまで喪服を脱ぐ事はなかった。1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、生涯を終えた。


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コルフ島にて~

コルフ島の観光  ②

アヒリオン宮殿の様子です。

コルフ島が1864年イギリスから返還されギリシャ王国領となった後である1891年に建てられた。
1837年に生まれ、1854年にオーストリア皇妃となった建築主エリザベートの思いが詰まった別荘です。

「皇后・妻・母としての役目は全て放棄かつ拒否しながら、その特権のみほしいままに享受し続け、皇后としての莫大な資産によってヨーロッパ・北アフリカ各地を旅行したり法外な額の買い物をしたりする等、自己中心的で傍若無人な振る舞いが非常に多かった。」とのきびしい評価ですが、「ただしハンガリー統治に関しては非常な関心と情熱を傾けたため、過去に近隣の大国に翻弄され、分割・被支配と様々な苦難の歴史をたどったハンガリーが現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として、今もハンガリーの人々には慕われている。」とされているので、数世紀経てばこの後段のみが記憶に残ることになるかもしれません。

専用の贅を尽くした船や列車を利用しての豪華旅行を繰り返していたエリザベートは、1898年に暗殺されました。生前ここを何度訪問したのでしょうか??


糸杉の木の向こうに美しい家々が見れます。





入館の前にまず、ワインの試飲をしました。





フランスパンも~





チーズ・サラミ・オリーブのピクルスです。ワインのお味は??





宮殿の周辺  ① 古木の根が歴史を表す!





宮殿の周辺  ② この建物の中でワインの試飲でした。
 




宮殿の周辺  ③ この白い建築はギリシャ風のカフェ?





宮殿の周辺  ④





宮殿の周辺  ⑤ ここから宮殿に入ります。





宮殿の周辺   ⑥





宮殿の周辺   ⑦





宮殿の周辺   ⑧ 宮殿前のバラを写したり~





宮殿の周辺  ⑨  ギリシャ彫刻もデ~ンといっぱいあります。





宮殿の周辺  ⑩ 柱の上に流石のギリシャ彫刻です。





入口に有るのは、ハプスブルグ家650年の歴史の中で、最も美しかったと言われる、オーストリア皇后エリザベートの等身大の像です。ウエストサイズは50?cmで、生涯これを維持したという。
 




花が盛の美しいブーゲンビレアです。





このブーゲンビレアは若い枝ですからまっすぐです。





ゴールデン・ワトル?  黄色のボンボンのような花が咲いていました。





ラッパの様な花はエンゼルトランペット





しまかぼちゃ?まくわうり? 何でか写したくなるのって変?





夕顔の実ですかね~?瓢箪ではないですよね~?





お馴染み~おしろい花が咲いていましたね~ 


次回は宮殿内の様子です。

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コルフ島にて~

コルフ島の観光  ①

ギリシャ最後の観光地コルフ島に寄港しました。
イオニア諸島最北にしていちばんの中心地コルフ:Corfu(ケルキラ:Kerkira)島は、
ギリシャ的なものと西ヨーロッパ的なものが混在するイオニア諸島随一のリゾート地です。

1891年に建てられた、アヒリオン宮殿行のツアーに参加しました。
フィレンツェ風ルネッサンス様式です。 オーストリア皇后エリザベートの夏の離宮です。
オーストリア皇妃エリザベートは中欧の旅でも訪れて居ます。又帝国劇場のミュージカルでも楽しんだ場所です。

宮殿行きに先立ってオリーブと絨毯の加工の民家の観光になります。


コルフ島に入港間近?





優しい雲が浮かんでいます。





静かな朝の海はまだ暗いんです。パレオフルリオ要塞(ベネチア城塞)が見えています。





港はアドリア海の入口です。フェリーが出て行きます。






アップにで写して~~





タグボートとクリスタル・セレニイティーの姿が~~





クリスタル・セレニイティーの隣に停泊らしい!



ここからは、ツアーバスで出かけた街の様子になります。


ジュータン織りの様子  ①




ジュータン織りの様子  ②





ジュータン織りの様子  ③





ジュータン織りの様子  ④ パターンの図です。





ジュータン織りの様子  ⑤使い込んだ道具です。





オリーブ絞り  ① 古代ギリシア式の石臼、動物に引かせたのでしょうか?





オリーブ絞り  ②





オリーブ絞り  ③





オリーブ絞り  ④





鄙びた街の姿  ① 親しみを感じられる素敵な街の姿です。





鄙びた街の姿  ②





鄙びた街の姿  ③





鄙びた街の姿  ④





鄙びた街の姿  ⑤





オレンジ色・赤い壁の色が柔らかい雰囲気です。





壁とブーゲンビレアの色彩が素敵なハーモニィーをみせて~~





質素なキリスト教の祠です。

1453年、ビザンチン帝国が滅亡すると、1460年にはギリシャ全土がトルコ支配下に入る。
1463年にはトルコはエーゲ海に進出、レスボス島(イズミルの近く、ジェノバ領)を占領。1470年、ネグロポンテ島(現エウボイア島、アテネの近く、ベネチア領)を占領。
1500年代に入るとイオニア海に進出、レウカス島(コルフ島の南、ベネチア領)を占領。ここに要塞を建設、イェニチェリ軍団を常駐させ、海賊にも根拠地とさせた。この頃から、トルコは海賊の頭目にトルコ海軍の指揮を任せたほか、彼らの海賊活動を公認するようになった。ベネチアも対抗策としてキリスト教徒側を糾合、法王庁海軍を設立、レウカス島の支配権を奪回した。
このあと、頭目の出身地は様々になり、海賊はこれまでのようにサラセンの海賊と一括りに出来ないようになった。                       [ローマ亡き後の地中海世界 塩野七生著 から抜粋、引用]

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